ビースリー・フィールド小飛行場


(沖縄戦前後の飛行場より)

フクギ並木で有名な、本部町備瀬に隣接して、米軍占領から数年間存在していた、ビースリー・フィールド小飛行場(Cub Airstrip on Beasley Field)。ビースリーとは、占領当時の連合軍琉球司令部通信隊のビースリー大佐(Signal Officer, Ryukyus Command)の名前から取られたではないかと思われます。
占領当時、この様な通信部隊用の約500m程の滑走路を持つ小飛行場が沖縄で20ヶ所ほど作られたらしいですが、殆どが数年で無くなってしまった様です。

この備瀬地区の空撮写真ですが、米軍占領前と、直後、1960年代、そして現在の写真を比べてみると、直後の写真のみ滑走路が写っているだけで、集落の街並みも道路も畑も、基本的に殆ど変わっていませんでした。戦争という出来事が、いかに特異な事だったのかが判る様な気がします。

1945年から46年頃、歴史で見ればほんの一瞬現れては消えた飛行場、この畑の中を左から右に横切って滑走路が造られていた様です。なお、左奥の森みたいな所は、備瀬の集落です。森の様になっているのは、有名なフクギ並木です。

数年で消えてしまった飛行場ですので、当時を物語る様な物は全く発見できませんでした。
しかし、丁度滑走路の有った辺りに、水を溜めるのに使っているのか米軍払い下げのジェット機の投下タンクが置かれていました。何となく因果かなと思ったりして…

 
 
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