外人墓地

泊港に隣接する、割とやかましい所にあります。

現地に有る説明板によりますと、ここは古くから22基の外国人の墓が有ったので、沖縄では「ウランダー墓」と呼ばれていたそうです。
ウランダーとは、オランダから来ており、当時の西洋人は、全て「ウランダー」と呼ばれていたそうです。
当時の内訳は、中国人(清人)6人、アメリカ人10人、イギリス人2人、フランス、スェーデン人各1人、不明2人となっています。
「ウランダー墓」と呼ばれていたにも係わらず、明確なオランダ人が誰一人葬られていないというのもご愛敬ですね。
この中で最も古い物は、中国人(漂流民)の物で、墓石より、1718年(康熙(こうき)57年)〜1785年(乾隆(かんりゅう)50年)の年号が読みとれるそうです。
その後、欧米船の来航が相次ぎ、1853年〜1854年に5度来航したペリー提督の従者や、1908年、当時の沖縄県立中学校英語教師、ヘンリー・アモアなど、沖縄で亡くなった外国人が葬られているそうです。

18世紀から続くこの外人墓地、現在も利用されており、主に米軍人さんが葬られている様で、今のところ、300余基に登っているそうです。

沖縄の歴史が感じられます。
異国の地ですが、どうか安らかにお眠り下さい。

 
 
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