合掌の碑

神戸市長田区にある兵庫県立兵庫高校の一角に、「合掌の碑」と呼ばれる碑があります。この高校は戦前、兵庫県立第二神戸中学校、通称神戸二中という学校で、この二中を卒業し、後の、旧沖縄県最後の沖縄県知事として赴任した島田叡知事を想い、建てられた碑だそうです。

このグラウンド
このユーカリプタス
みな目の底に収めて
島田叡は沖縄へ赴いた
一九四五年六月下浣
摩文仁岳の近くで
かれもこれも砕け散った

1901年、神戸市須磨区で生まれて、二中経て旧制第三高校から東大法学部に進み、内務省官僚となりました。
1944年の終わり、日に日に戦況が悪くなり、沖縄に米軍上陸の可能性が大きくなってきた頃、出張名目で帰ってしまった泉守紀沖縄県知事の後任として、1945年1月、第27第沖縄県知事に任命されました。当時、益々戦況が悪化しているのは明らかで、島田知事も、沖縄県知事を拒否しようと思えばできたそうですし、周りの人々も知事を受ける事に反対したそうですが、「俺がいかねば、誰かが行かねばならぬ」と、その反対を押し切り、家族を残して赴任したそうです。
知事として赴任後は、食糧難の打開と、住民や学童の疎開など、沖縄県民の為に為に尽力し、また、第三十二軍の首里撤退の際も、住民の犠牲が大きくなる為、撤退せず首里に留まるべきだと主張されたそうです。
1945年6月、糸満市伊敷にある轟の壕と呼ばれる壕にて、県庁の解散を命じた後、第三十二軍司令部に合流するため、県警幹部と共に摩文仁に向かったまま、消息不明となっています。

この「合掌の碑」は、遠く沖縄の方向を向いており、合掌をしているデザインとなっているそうです。

 
 
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