境内に有る、ベッテルハイム博士居住之趾の碑です。 この博士、イギリス海軍琉球伝道協会派遣の医療宣教師で、日本初のプロテスタント宣教師として1846年、ここ琉球の地に、家族とメイドまで連れてイギリス軍艦スターリングで来島したそうです。 しかし当時、薩摩藩の指示でキリスト教は御法度の為、琉球王府はここ護国寺に閉じこめ、入り口に番小屋を造り、彼らの行動を監視したそうです。 しかし、はるばるここまで来た宣教師、こんな事ではめげません。 泊の御典医仲地親雲上紀仁家を度々訪れ、初めは当然断られていた物の、そのうち密会をする事になり、沖縄初の牛痘接種法が伝えられ、仲地医師が、それに習い、1948年頃発生した天然痘の予防接種をして成功し、琉球王府もこれを認め、牛痘接種を、全島に普及させたそうです。 また、住民に対しても医療行為を行い、地域の人からは、メガネを掛けている風貌から、「ナンミンヌガンチョー(波上のメガネ)」とあだ名を付けられる程、親しまれ、かつ大きな貢献をされています。 しかし、元々目的はキリスト教の伝道です。聖書を琉球語に訳し、家々に配り歩いたりしては、役人が後ろからそれを回収していったとか、戸の閉まっている家には壁に穴を開けて聖書を放りこんでいったりと、なかなか楽しい活動をされておられた様です。 結局琉球王府も扱いに困り、1854年7月1日にペリー艦隊が日本からの帰国途中に沖縄に寄り、17日に出航する際、無理矢理ベッテルハイム博士を同乗させ、離島させたそうです。
参考 ★聖書のお話 聖書にまつわる話 和訳史のエピソード その11 ベッテルハイムと沖縄 http://members.aol.com/kuni2sato/matuwaru/bettel_okinawa.htm ★聖書のお話 http://members.aol.com/kuni2sato/index/under.htm
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