引き揚げの碑

中城村久場崎にある「引き揚げの碑」
1946年8月17日から、サイパン、テニアン、ロタ、パラオ、フィリピン、満州、台湾等々の外国、学童疎開などで本土で過ごした人々が、直接、または本土経由で引き揚げが始まり、引き揚げ者の殆どが、この久場崎に降り立ったそうです。
各地から、米軍の揚陸船(LST)やリバティ型船と呼ばれる船、旧日本軍の艦船などでここに引き揚げて来た人々は17万人を数えたそうです。当時の沖縄本島の人口が30万人という事を考えると、その半数以上の人数が、ここを通過し、故郷に戻っていったそうです。
ここで降り立った引き揚げ者は、米軍の検査、DDT散布の後、一度久場崎収容所や、今の沖縄市高原に有ったキャンプコステロ(インウミヤードゥイ)の収容所に入れられ、面接が有った後、それぞれの故郷へと帰っていったそうです。なお、当時米軍の基地建設その他の理由で故郷へ帰れない人は、石川や宜野座、知念などにあった収容所で生活をしたそうです。

この碑は、当時の引き揚げ地で有った事を記念し、戦争の悲惨さを忘れない為に建設されたそうで、後ろのモニュメントは、「不安 喜び 希望」といった、引き揚げて来た直後の人々の心境を表しているとの事です。

引き揚げ者が続々と降り立った場所は、海岸に戻って、マリンレジャーの場所になっています。
当時はここに、浮き桟橋が造られ、次々と船が出入りしていたそうです。今は何の痕跡も有りません。

 
 
沖縄発 役に立たない写真集