伊江島飛行場


(空から見た沖縄戦 沖縄戦前後の飛行場より)

旧日本陸軍が伊江島に作った、東飛行場と中飛行場です。日本軍の時代は、西飛行場は未完成だった様です。
それぞれ1500mの滑走路を持つ、全天候型飛行場との事でした。
西飛行場は未完成ですが、写真を良く見てみると、東、中の滑走路に平行して、工事の跡が薄く判ります。


(空から見た沖縄戦 沖縄戦前後の飛行場 より)


(伊江島 地形図 より)

左の写真が、旧日本陸軍の作った滑走路を米軍が拡張したものです。中、東滑走路を1830mに拡張し、西側の滑走路を2130mで新設しています。また、その後、西滑走路の西にもう一本新設工事をしています。写真では、西滑走路の左、下の方だけが出来ているのがおわかり頂けると思います。
右の地図は、現在の地図です。東滑走路は民間の伊江島空港に、中滑走路は、米軍伊江島補助飛行場となっています。
西滑走路及び新設滑走路は、現在米軍海兵隊の訓練施設となっており、どうなっているかは判りませんが、地図上で見る限り、1本のみが存在している様です。
また、滑走路、空港周辺の道路は、ほぼ、元米軍飛行場だった時のタクシーウェイや基地内道路を使用しているみたいです。

旧東飛行場は現在伊江島空港となっており、1975年の海洋博覧会の際に、観客輸送として、当時の南西航空(現日本トランスオーシャン航空)が、1975年7月20日から1976年1月18日まで、那覇からYS−11を毎日1往復運行していたそうです。その後、DHC−6で運行を再開したものの、利用率の低さと、米軍訓練空域による規制の問題とで、途中から休止、現在は、エア・ドルフィンの定期チャーター機が、那覇空港−伊江島空港−伊是名島空港間を飛んでいる様です。

旧中飛行場は、伊江島補助飛行場として、米軍の管理下にありますが、現在解放されています。トップガンの気分で900ニンジャでも走らせてみたいのですが、路面は荒れてるし、その前に免許も単車も・・・

旧西飛行場ですが、現在も海兵隊の訓練施設となっており、オフリミットですので、どうなっているのかは判りません。

 

 
 
沖縄発 役に立たない写真集 >> 地図から消えた飛行場 >> 日本軍伊江島飛行場