沖縄戦後教育発祥之地

石川市の城前小学校です。
当時、ギブミーギブミーと寄ってくる子供達に手を焼いた米軍が、このままでは作戦遂行に支障があるので、子供達を外に出さない様な収容所を作って欲しいと依頼が有り、それを聞いた沖縄の教育者、山内先生が、学校ならばという事で、1945年5月7日に、現在の場所から少し離れた所に、「石川学園」という名前で児童数790名、校長1名、教員20名、給仕1名、小使い2名、理髪師1名にて開校し、暫く後、現在地に移転したそうです。
5月前後というと、本島南部戦線ではまだまだ激戦が展開されていますが、ここ石川は、4月1日に嘉手納周辺から本島に上陸した米軍に、殆んど戦闘らしきものは無いまま3日には占領されており、これ以降「戦後」が始まっているのだそうです。
また、何故小学校に「理髪師」が? という事ですが、当時ノミやシラミが多かったので、衛生上学校で子供の頭をカットさせていたからだそうです。時代ですね。
当時の学校は、教室も机もイスも教科書も無く、地面の砂に文字を書いたりして教えたとの事です。また、教師も資格を持った人では無く、適当に人材を集めた上、教育要綱も決まっておらず、教師が思い思いの授業を展開していたそうです。
子供達は学校に行かない者も多かったので、当時は出席者にチョコレートを与えたり、大人達が不登校児童を探し、強制的に学校に連れて行く子供狩りをしたりして、登校率を上げようとしていたそうです。

 
 
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