KADENA AIR BASE
極東最大の米軍基地、カデナ エア ベースです。こちらも歴史から消える事は無いでしょう。
しかし、ここにも、歴史から消え去りつつある滑走路が存在します。
(空から見た沖縄戦 沖縄戦前後の飛行場 より)
1944年に建設が開始された、1500mの滑走路を持つ、陸軍沖縄中飛行場、又は屋良飛行場と呼ばれた飛行場です。当初は読谷の陸軍中飛行場(現米軍読谷補助飛行場)の補助飛行場だった様です。
45年3月に完成したにも関わらず、同年同月30日に、日本軍第32軍は滑走路の破壊を命令したとの事でした。
設計当時は、もう1本滑走路を造る計画もあった様ですね。
(空から見た沖縄戦 沖縄戦前後の飛行場 より)
米軍が占領後、長さ2290mの滑走路を2本持つ飛行場に拡張しました。当時の米軍沖縄地区工兵隊文書の中の、米軍嘉手納飛行場の図面です。
北側滑走路が、旧日本陸軍飛行場滑走路だった様です。
(軍用地および軍用施設現況調査報告 より)
復帰直前のKABです。滑走路は3688mとされてます。
滑走路の配置等、基本的に現在とはほぼ同じとの事です。
上の○は、嘉手納ロータリー。
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