勝連町サーターヤーの煙突

モノリスの様に、天高くそびえ立っている煙突、あっちこっち穴だらけですが、皆弾痕です。
この煙突は、1940年、地元に有った11組のサーターヤー組(製糖組合)が合併し、新設したサーターヤー(製糖工場)の跡です。
ところが新設後4ヶ月操業しただけで、沖縄戦で破壊され、今は当時の戦闘を物語る弾痕を残す煙突だけが、ホワイトビーチを見下ろしながら、サトウキビ畑の中に存在しています。

こちらは、昭和10年に建立された、区画整理事業の記念碑です。
これも弾痕が入ってます。
沖縄県中南部に戦前から存在する構造物には、大抵弾痕が残っているそうで、第二次世界大戦では、本島各地で戦闘が有った事が判ります。