島の北部にある「クマヤ洞窟」。ここに、日本書紀に出てくる「天の岩戸」の伝説があります。
以下説明板より
浸食によってできた珪岩質の洞窟です。この一帯は、伊平屋層と呼ばれる緑や紫を帯びた硬い珪岩(チャート)の古い地層から成り立っています。洞窟は地層がしゅう曲したところにあり、その弱い部分が水や風、あるいは砂などの力によって浸食され、空洞になったと考えられています。 入口を下ると、広さ約600u
高さ10mの洞内に入る事ができます。この洞窟は江戸時代の学者藤井貞幹の説から、別名「天の岩戸」とも言われています。この様な浸食によってできた珪岩質の洞窟は琉球列島でも特異な存在であり、学術的に貴重なものです。
伝説についてですが、伊平屋村歴史民俗資料館の説明では
往古からの伝説で、神がこの穴に籠もっていたのでクマヤと云い、俗語でフマヤと唱えています。また、徳川時代の学者藤井貞幹は、「天の岩戸はこの籠穴である」と「衝口発」にて発表され、その後国学者の本居宣長らが藤井貞幹の説に憤慨して、「紺狂人」という本を出版してこれに反発してきました。それ以来日本考古学者が来島し研究してきました。昭和43年6月、東京都の神代神楽山本崇司宮司ら30名が来島され、天の岩戸開きの神事が挙行されました。
藤井貞幹先生の「神武天皇は琉球の恵平屋島(ゑへやしま)に誕生あそばされたり」という説の真偽は、天照大神にお尋ねしなければ判りませんが、もしかするとこの島が、日本の発祥の地となるのかもしれません。 |