摩文仁第32軍司令部壕

平和記念公園内にあります。壕には目立つ看板は有りません。

牛島満陸軍中将を司令官として、最盛期には約10万人の将兵を以て組織された沖縄守備隊の第32軍でしたが、沖縄の地上戦による米軍の猛攻で各陣地は陥落、首里にあった司令部も、1945年5月27日、南風原町津嘉山へ移動した後、5月30日、現糸満市摩文仁にある、この壕へと後退したそうです。

6月23日(又は22日)午前4時、牛島司令官はこの壕(もしくは、近隣の岩場)にて自決、それを追って、他の司令部将校も自決し、日本軍の組織的な戦いは終わったとされています。
現在の壕は、内部の落盤があるそうで、入口に柵が設置されており、洞内の見学はできません。

この壕の上には、第32軍司令部慰霊碑「勇魂の碑」が建てられています。
この碑の場所は、牛島司令官及び長参謀長の墓跡だそうです。

「勇魂の碑」のすぐ上が、摩文仁ヶ丘最頂部で、牛島司令官及び長参謀長を慰霊する「黎明之塔」が建っています。

牛島司令官 辞世の句
「秋をまたで 枯れゆく島の青草は 皇国の春によみかへらなむ」

首里第32軍司令部壕跡

 
 
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