那覇空港

え?那覇空港が「歴史に消えつつある」飛行場?なんでよ、ここはこれから沖縄が発展する窓口やしが。てーげーいうな!この腐らーナイチャーが・・とお叱りを受けそうですが、ここにも封印された滑走路が隠されていたのです。


(空から見た沖縄戦 沖縄戦前後の飛行場 より)

これは1944年10月に米軍が作成した、日本海軍小禄飛行場の詳細な図面です。1500mの滑走路を3本持つ、全天候型飛行場との事で、現在の飛行場とは全く違う形状だったんですね。
にしても、当時米軍は、こんなに詳細な地図を作製していたんですね。情報を制する者が戦いに勝利する、って訳ですか。


(軍用地および軍用施設現況調査報告 より)

こちらは、1971年に琉球政府が発行した軍用地に関する書類の中の、復帰直前の米軍那覇基地(NAB)の地図です。
この頃には、南北の滑走路が2438mに拡張されています。また、他の2本の滑走路は放棄され、跡形もなく消え去っています。
この地図に書かれている所は、米軍基地エリアですが、上の方に出っ張っている細い線で後から継ぎ足して書かれている部分が民間空港施設エリアでした。

当初の民間空港ターミナルビルは最近まで現存していましたが、取り壊されてしまいました。

こちら、現国道331号線、旧軍道3号線。
この道は、元々NAB内を通り、米軍車両しか通行が許可されていなかった「純軍道」だったそうです。


(都市地図 那覇市 昭文社)

こちらは、現在の那覇空港です。滑走路は3000mに拡張されてます。将来的には、沖合に第2滑走路建設を計画している様です。

 

 
 
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