復帰までの沖縄民間航空年表

空港関係

キャリア関係

1931
9月16日 海軍小禄飛行場建設開始  

1933
海軍小禄飛行場完成
6月26日、逓信省にて、内台定期航空路の中継地として、海軍小禄飛行場を拡張し、那覇飛行場とする計画を決定
 

1934
  7月23日、内台航空路(福岡−那覇−台北)試験飛行

1935
逓信省航空局、那覇飛行場計画に向け、用地買収。 10月8日、郵便物を搭載した、日本航空輸送株式会社の民間定期航空機、フォッカーF7/3M就航(福岡−那覇−台北)

1936
3月11日、那覇飛行場工事完了
3月18日、航空法に基づく飛行場検査完了
3月21日、小禄飛行場、海軍から逓信省に管轄を移管。名称を那覇飛行場に変更
1月1日、定期旅客便就航(週一便)
11月、定期便の機材、DC−2になる。

1937
  8月1日、定期便、毎日1便の運行になる。

1938
  日本航空輸送株式会社が、大日本航空株式会社に名称変更。
定期便にエア・ガール(現フライト・アテンダント)登場

1939
   

1940
逓信省が那覇飛行場敷地拡張 機材がDC−3になる。

1941
   

1942
8月、那覇飛行場、海軍の管轄となり、名称も、海軍小禄飛行場に改称  

1943
海軍、小禄飛行場拡張  

1944
   

1945
6月6日、米軍、小禄飛行場占領  

空港関係

キャリア関係

1947
  9月20日、パン・アメリカン、東京−那覇−東南アジア間運行開始

1948
  8月、ノースウエスト、東京−那覇−台湾、香港間運行開始

1949
   

1950
  4月、台湾のCIVIL AIR TORANSPORT(以降CAT)沖縄乗り入れ開始(那覇−台北−香港)

1951
   

1952
2月15日、米国空軍、那覇空軍基地の滑走路等軍用施設および那覇民間空港区域整備工事開始。1954年11月14日まで、民間機は嘉手納基地を使用。   

1953
12月5日、米軍那覇基地拡張の為、小禄村具志の土地を接収。住民とトラブル。 12月8日、日本航空(以降JAL)、沖縄線開始の為、DC−8にて嘉手納基地へ試験飛行

1954
7月20日、石垣平得空港開港
10月1日、那覇空港、滑走路、軍用施設、民間空港区域整備工事完了
10月8日、米国空軍より、嘉手納基地乗り入れの民間定期航空4社(JAL、PAA、NW、CAT)に対し、那覇民間空港を11月15日から供用開始を通知。
10月13日、米国空軍那覇航空隊から借用し、井上商会の井上良氏の個人経営によるコンセットのターミナルビル完成。
11月15日、那覇民間空港、供用開始
2月5日、JAL、東京−沖縄を嘉手納基地にて運行開始。一番機、シティオブナラ号。DC−6Bで、週一便。

1955
  2月1日、トランスオーシャン航空(アメリカ)沖縄乗り入れ
2月4日、JAL、那覇−香港便開設(週二便)
4月1日、CAT、「琉球列島航空路権申請書」を米国民政府(以下民政府)に提出

1956
11月21日、那覇空港ターミナル株式会社設立 2月1日、沖縄旅行社、「琉球列島先島諸島航空路の乗り入れによる外資導入申請書」を琉球政府に提出。
6月15日、沖縄旅行社によるCATチャーター便にて、那覇−宮古−石垣の運行開始。

1958
3月15日、空港ターミナルビル工事着工 7月、琉球航空運輸、未組織であったが、琉球政府宛に航空事業許可申請を提出。
10月22日、琉球航空運輸株式会社、航空事業の許可を受ける。
12月17日、琉球航空運輸、正式に発足。沖縄旅行社より航空事業を受け継ぐ。(CATをチャーター契約して運行)

1959
5月9日、空港ターミナルビル、供用開始  

1960
  9月1日、ノースウエスト、DC−8にてジェット旅客機就航開始

1961
  6月30日、琉球航空運輸による航空事業閉鎖。
7月1日、琉球航空運輸とCATとのチャーター契約のまま、那覇空港ターミナル株式会社の航空事業として、先島空路の運行を開始
7月28日、琉球航空運輸を那覇空港ターミナル株式会社が吸収合併、同社に琉球航空部発足
8月1日、那覇空港ターミナル株式会社とCAT、正式にチャーター契約。先島空路を継続。

1962
   

1963
7月1日、与那国飛行場、改良工事着工  

1964
4月24日、与那国飛行場整備完了 6月12日、CATより那覇空港ターミナル株式会社に、チャーター契約の解約を通知。
6月30日、那覇空港ターミナル株式会社による、琉球航空事業閉鎖。
7月1日、エア・アメリカ、琉球列島内航空事業開始(那覇−宮古−石垣線就航)

1965
5月10日、石垣飛行場整備完了
7月15日、宮古空港整備完了
1月28日、エア・アメリカ、久米島−那覇間運行開始(週3便)
2月23日、エア・アメリカ、与那国−石垣間運行開始

1966
  6月、エア・アメリカ、民政府に対し、67年6月末をもって、琉球列島内航空事業廃止を通知
6月13日、民政府、島内航空事業募集通知を、JAL、ANA、アロハ航空、ハワイアン航空い対し送付。
10月8日、JAL、琉球列島内航空事業申請を民政府に提出

1967
7月1日、琉球航空法発効(以前は、琉球列島内の民間航空事業に対する法的規制、根拠の無いまま、米空軍の規制の適応という形で認可されていた) 6月20日、JALの系列会社、南西航空株式会社(以降SWAL)設立
6月24日、SWAL、宮古、石垣、与那国、南大東、久米島へ試験飛行開始
6月30日、エア・アメリカ、琉球列島航空事業廃止
7月1日、SWAL正式運行開始

1968
6月10日、宮古空港ターミナルビル落成  

1969
1月27日、那覇空港滑走路補修工事の為、1月31日まで閉鎖。代替空港として、SWAL以外は嘉手納基地、SWALは普天間基地を使用。  

1970
   

1971
   

1972
5月11日、米国民政府解散
5月13日、琉球政府閉庁
5月15日、沖縄日本復帰、沖縄県発足
 

沖縄離島の空港の沿革については沖縄県庁の
沖縄の空港
をご参照下さい。

参考資料
●那覇航空ターミナル25年のあゆみ(那覇航空ターミナル株式会社)
●南西航空十年のあゆみ(南西航空株式会社)