別記
米兵の強姦、殺人、住居侵入等、女性を目的とした犯罪が、1946年から49年の間に1000件を越え、また、取り締まりをした沖縄側の警察を逆恨みした米兵が、警察駐在所を襲撃し、数名の殉職警察官を出すなどした為、警察が治安維持の観点から米軍慰安施設の設置を提唱し、当時の知事(琉球政府発足以前は、沖縄民政府の最高は知事と呼ばれていた)より米軍に、設置の陳情を行ったとの事です。内容は、
1)米人経営の慰安施設設置
2)沖縄人経営のダンスホールを兼ねた慰安施設設置
3)場所は、那覇、コザ、前原、石川に数カ所又はそれ以上。
4)設備の許可は知事
5)取締権は所轄警察署
6)ダンサーは毎週一回検診
7)営業時間は夏は午後11時、冬は午後10時まで
当時は慰安施設又は売春街とは言わず、「ダンスホール地区」と呼称していた様です。
これを受けて、1949年の終わりから1950年の始めにかけ、この八重島特飲街(New Koza)が建設されていき、また、1953年より、米軍のAサイン制度が発足し、琉米による管理売春制度が始まっていく事になるそうです。
なお、この施設の当初の目的であった、治安維持については、目的通り性犯罪系は減少していったそうです。
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