奥共同店

  

現在沖縄本島、主に北部地域で見られる「共同店」または「共同売店」と呼ばれる、地区の住民によって出資、運営されている店舗のさきがけとなったのが、ここ、国頭村奥にある「奥共同店」だそうです。
創立は1906年(明治36年)で、当時奥で雑貨商を営んでいた糸満盛邦氏が奥の将来を考えて店をこの地域に譲り、住民の出資の元、共同運営が始まったそうです。現在も、奥地区の共有財産として、運営されており、他の地域にある日用品や食料品の販売の他、この地区で作られる、日本一出荷が早い事で有名なお茶の製造販売が行われています。
この共同店、昔は日用品の販売のほかに、精米業、酒造工場や発電所の運営や、貯金や貸付などの金融業までも行っていたとの事です。また、昭和29年に道路が開通するまで奥は陸の孤島状態で、物資の輸送手段を海路に頼っていたという事もあり、個人が所有していたヤンバル船と呼ばれる帆船を共同店が買い取って村船(ムラブニ)として以来、運送業も行う様になり、船が火災で焼失したときは村人の共同作業で船の建造まで行った様です。
これだけ幅広く共同運営で事業を行っていた、という事は、裏を返せば、この地区がそれだけ他の地区から孤立していた、という事でしょうね。
 
 
自分の店を地域に譲り、共同店の礎を築いた糸満盛邦氏を称える、糸満盛邦翁顕彰碑が、奥共同店の敷地内にあります。
 
   
 
  
 
 
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