管理は空軍の「18th Support Group」という部署らしいです。
で、この滑走路、一体何の為に作られたのでしょう? まずこの施設を、調べて見ましたら、1947年に当初から福利厚生施設として作られた様で、当時の航空写真を調べてみましたが、この施設が出来る迄は、まだ滑走路は造られていませんでした。 当時、ここに至る琉球政府道1号線、現在の国道58号線は、今と違い、名護以降は未舗装の、かなりの悪路だったそうなので、この滑走路は、ここで余暇を楽しむ軍人さん向けに、各基地からシャトル便が出ていたか、又は上級将校さんなどは自家用機を飛ばしていたのかもしれません。 もう一つ考えられるのは、隣接するJALプライベートリゾートオクマは、1977年5月に返還されるまで、アメリカ国務省管轄の対共産圏向け放送局「Voice
Of America
(VOA)」の送信所で、また、VOAの琉球本部は、現嘉手納基地内だったので、その間の連絡用や、資材運搬用として作られたのかも知れません。
いずれにしましても、沖縄本島では唯一、戦争とは関係なく作られた滑走路かも知れません。
★FAC 6004 奥間レストセンター (沖縄県庁の資料) http://www2.pref.okinawa.jp/oki/okinawa.nsf/0/021898b1a988e8db492568b100023e52?OpenDocument この航空写真では、滑走路がはっきりわかります。
★Okuma Joint Services Recreational Facility http://www.18services.com/okuma.html KABの福利厚生部隊(?) 18th
Services Squadron の、奥間レストセンターの紹介。 |