復帰前のナンバープレート

これは有名ですね。「KEYSTONE OF THE PACIFIC」、鳥居にOKINAWAの黄色ナンバーです。
よく本にも載ってますので、復帰前の車両は全部このナンバーかと思ってましたが、これは米軍人車両用のナンバーだそうです。
当時、このナンバーの車両に対する取締権はMPのみで、琉球警察には無かったそうです。それが後のコザ暴動に繋がるそうですが…

では、民間車両のナンバーはどうだったのでしょう。

民間は白色プレートです。初期の頃は、「RYUKYU ISLANDS」という名称が入ってます。
最初の「5」という数字が車種を表し、小型4輪車という事らしいです。
次のアルファベットですが、この写真の「B」は、自家用。営業用は「A」で、色も黒地に白文字だった様です。民間の外人やナイチャーの車は「F」が付けられたという事です。他に宮古、八重山の車は、番号の前に「M」「Y」という文字が付けられたそうです。
(沖縄トヨタ発行の冊子より)

これは何に付いていたのか判りません。単に「O」という一文字になってます。
年代が新しくなるにつれ、「RYUKYU ISLANDS」の文字が省略され、数字とアルファベットのみのプレートになっていった様です。

イエロープレート以前には、ブラックプレートを使っている時代も有った様です。ナンバーで階級が判る様になっていた様です。
なお、当時の写真を見てみると、将校の車には階級章の星のマークを付けた車もあります。

 
 
沖縄発 役に立たない写真集