この与座分屯地は、八重瀬岳という山の上に有り、復帰前までは米軍の基地で、復帰後自衛隊に移管されているそうです。現在でも米軍時代の建物もそのまま使われています。
ここから見た、北の風景です。住宅地や畑が広がっています。写真ではわからないのですが、ここからは、西原町にある琉球大学や、首里城も見えています。今は平和な生活が営まれていますが、沖縄戦時は、ここから見える全ての場所が激戦地域で、所々緑が見えている丘は、殆ど全てが旧日本軍と米軍とが攻防を繰り返した高地です。
この八重瀬岳も、旧日本軍第32軍司令部の最期の地、摩文仁を守る最後の砦として、とても激しい戦闘の有った場所だそうです。 |