旧日本軍首里司令部壕跡
(第32軍司令部壕跡)

首里城と弁財天堂との間の木々の中にひっそりと、首里にあった旧日本軍の第32軍司令部壕の痕跡が残っています。案内板も説明板も無く、首里城とは対照的に、観光客はだれも誰も訪れてはいません。
草場の中に埋もれようとしているこのコンクリートの残骸が、旧32軍司令部壕の入口の一つでした。現在戦闘による落盤の為、この入口からは入る事ができません。

この入口周辺に有るコンクリート構造物は、司令部を守るためのトーチカなどの跡だそうです。

中に入れない様に、金網でふさいでますが、米軍に破壊された時そのままに放置されてます。
これだけの分厚いコンクリートを破壊する威力の有る兵器、すごいですよね。

今は猫が昼寝をする程平和で、ここが戦場になった事も、これらの戦争遺跡共々風化しつつあるのかもしれません。

こちらも、首里城の忠魂碑と同じく、とても目立つ場所にあるのですが、だれも関心を払わない、旧軍のトーチカ跡です。
半分以上土に埋もれていますが、よく見ると銃眼が確認できます。

首里城には、この様な戦争遺跡が点々と残っています。
沖縄では、他にも、沢山の戦跡が残っていますが、殆どは、特に保存される訳でもなければ、消し去ってしまう訳でも無く、当時そのままに放置されてます。ですから、いまでも、壕に入ると、当時の遺品や遺骨がそのままだったりするそうです。
しかしいずれこれらの戦争遺跡も、消え去る運命に有るのかも知れません。

第32軍司令部は、1945年5月27日に首里より南風原町津嘉山へ撤退後、5月30日に、糸満市摩文仁に移動し、6月23日、牛島司令官以下司令部将校の自決を以て消滅します。

摩文仁第32軍司令部壕

 
 
沖縄発 役に立たない写真集