時は18世紀、琉球国は南風原に安里周當、又の名を「飛び安里」と呼ばれる方がおりました。この方は、時の王府おかかえの花火師として、大層腕がよかったそうです。 で、この人、何故「飛び安里」と言われるでしょう? それは、この人 実は 空を飛んだのです。
時は1780年(一説には1768年とも)、現在の南風原町高津嘉山という所から、自作の「羽ばたき機」で大空に舞い上がったそうです。 1780年?それだけなら、ふーん…で終わってしまいそうですが、航空史年表を見てみると、世界初の動力付有人飛行、かの有名なライト兄弟が1903年、世界初の熱気球による有人飛行が1783年。日本では、岡山の通称「鳥人幸吉」が橋の上から羽ばたき機で空を飛んだというのが1785年と言われており、これらから見ると、飛び安里が空を飛んだのは、日本初、もしくは人類史上初とも言えるのかもしれません。 この碑は、その飛び安里の偉業を顕彰する為に建立されたそうです。
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