琉球大学

沖縄エリートの大学です。国立大学ですが、この大学の歴史は他の国立大学とは全く異なり、とても変わっています。
1950年、当時の沖縄住民の総意を汲んでハワイ沖縄県人会の協力で、米国陸軍政府により、首里の首里城跡に、英語、教育、社会科学、理学、農学の5学部で開学したそうです。
戦前は、教員養成の師範学校が有り、また、戦後すぐの1946年には、沖縄文教学校が、師範、外語、農業の三部で、具志川村田場に開学していましたが、大学は沖縄の歴史上初めてだそうです。

現在琉球大学は、西原町千原に移転していますが、開学当時を忘れない為にか、「首里の杜」というパティオが有ります。

琉球大学が開学した際、本館の横に米軍が立てた説明板だそうです。元々ここには、首里城が有ったが、戦争で破壊され、現在は大学の建物が建っているという意味だそうです。

護国寺の鐘のレプリカだそうです。
1854年にペリー提督が琉球国から護国寺の鐘を進呈された為に作られた友好の絆を一層深める友好のシンボルとしてアメリカ合衆国から琉球大学及び琉球列島の住民へ、複製した護国寺の鐘を進呈すると、1960年7月12日の日付で、琉球列島高等弁務官、ドナルド・P・ブース陸軍中将が書かれておられます。

開学の鐘だそうです。当時、まだ物の無い時代、ゼロから出発した琉球大学は、この、米軍使用済みのガスボンベを、時鐘として使用していたそうです。開学の際の大切な物だとは思いますが、錆だらけなのが気になる所です。

琉球大学ですが、開学翌年、琉球大学財団が作られ、米軍からの資金が一端財団を通じて琉球大学に渡される形が取られていました。事実上、米軍立大学という事になる様です。
また、琉球大学財団は、大学運営費に充てる為、米軍から譲渡を受けた放送局で商業放送を行ったという、他の大学には無い、面白い歴史ももっています。その放送局は、今の琉球放送です。
1952年、奄美大島に大島分校が設置されますが、翌年、奄美諸島の復帰に伴い閉校します。
同年、ミシガン州立大学と提携を結び、教授がミシガン州立大学からやって来る事になったそうです。
1966年、琉球政府に移管され、琉球政府立大学に、そして、1972年、琉球列島の本土復帰に伴い、国立大学に移管されます。

★琉球大学
http://www.u-ryukyu.ac.jp/

 
 
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