砲台跡

斎場御嶽のウローカーから、参道の様なコンクリートの道が少し続いています。

この道は途中で「立入禁止」になっています。危ないらしいです。
しかし、古いコンクリートの構造物を見ると、何かあるのではと思わざるを得ません。自己責任に於いてと勝手な言い訳をしながら、侵入してみました。

ありました。
戦前、1941年8月から10月にかけて、旧日本軍の中城湾臨時要塞建設命令で作られた高射砲台だと思われるとの事です。
近隣の陣地に配備された重砲兵第七連隊第二中隊が、12糎連射加農砲を設置していたらしいそうです。
ちなみに、農を加える砲とはどういう兵器なのかと思ったら、加農砲とは、カノン砲を日本語化した物だそうですが、果たして日本語化されているのでしょうか?
この部隊は、1945年4月上旬に米軍艦船に対して砲撃を行ったらしいのですが、反撃として集中砲火を浴び、破壊されて使用不能に陥ったらしいです。

何に使われたのかは判りませんが、草場に埋もれるコンクリート構造物です。

こちらにもコンクリート構造物を確認できます。トーチカの様な物だったのかもわかりません。

この様な構造物が、あと3基有るらしいのですが、おそらく落ち葉などに隠れて判りにくくなっていると思います。確認はできませんでした。

現在こちらは、立入が禁止されています。私は、特に大きな危険は確認できなかった物の、春から秋にかけて、沖縄は、猛毒のハブの活動期に入ります。ここまでの道筋は全て草むらをかき分けていかなければなりません。また、危険を冒して入ってみた所で、この写真の様子位しか見る事ができませんので、できるだけ立ち入らない様に御願いします。

 
 
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