飛び安里初飛行顕彰記念碑の横に有る説明です。 もしこの、飛び安里が空を飛んだという伝承が事実ならば、何か記録や証拠が残っていないのか、また、いくら当時日本と琉球とに分かれていたとは言え、鳥人幸吉に比べて余り知られていないのか、が謎です。
この事で、南風原文化センターの方に色々とお話をお聞きしました。 当時も今も、突拍子もない事をしようとする人は奇人変人扱いに成る上、実際空を飛んだという事になると、世間を騒がせたと言う事で罪になり、事実この「飛び安里」も、牢屋に入れられてしまったとの事です。 ですから、今私たちから見ると、人類初の飛行を成し遂げた、世界に誇れる人物だ。もっと広く世間に認めて貰う事をしなければならないと思うのですが、安里家一族から見れば、この人は単なる変わり者、一族の恥という事になってしまい、これら事実が封印されてしまっていたという事らしく、その後近年まで一族の間だけで語り伝えられて来た伝説になっていたそうです。
また、飛行機の実物の一部や設計図の様な物も、大正時代までは残っていたらしく、当時、子孫である本家のオバァが家宝として大切に残していたそうです。 ある時、そのオバァの家に巡査がやってきて、ヤマトの陸軍省の偉い人が、飛び安里の事に興味有ると言っている。話を聞きに来るのできちんと受け答えをして欲しい…と言ってきたそうです。陸軍省の人は、世界で初めて空を飛んだ人が居るいう事に興味を持ち、純粋に話を聞きたかっただけだと思うのですが、この時代の事、オバァにとっては、「巡査」に「陸軍」。尋問でもされるのではないか、悪い事がおこるのでは…と心配したあげく、そうだ、これさえ無ければ関係ない という事をひらめき、代々伝えられて来た設計図や飛行機の一部などを全て燃やしてしまったとの事です。その後訪問した陸軍省の偉い方が地団駄踏んで悔しがったのが目に浮かびます。
さて、前置きが長くなりましたが、この封印を解き、もう一度当時の飛行機を復元し、飛ばしてみようという試みが、1999年に行われました。先の南風原文化センターの方よりご紹介を受け、当時復元を中心になってされた南風原町の町おこしグループ「すきです南風原・夢・未来委員会」会長の会社におじゃまし、御多忙の所貴重なお時間を割いていただいた上、色々と興味深いお話を聞かせて頂きました。
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